福岡と下関で黒田父子・小早川隆景・毛利秀元の足跡を追ってみました。終始興奮しっぱなしの楽しい旅となり、ますます彼らが好きになりました! 今回のブログでは人物ごとにゆかりの地を分けてみたので、ご興味のある所からお付き合い頂ければ嬉しいです
福岡下関旅メニュー●黒田家入門(このページ)
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景さま建築を見る。小早川隆景。●
とにかく多才、毛利秀元。●
小倉城、細川忠興。福岡下関のイチオシと旅まとめ ●黒田家入門 ー孝高・長政を中心にー
吉川家から入って黒田家が気になり始め約2年。ようやくゆかりの地を訪れる事ができました。まだまだ不勉強ですが、初めての福岡旅を楽しみたいと思います!
・まずはここ、福岡市博物館侍展から!
ギャラリースコープ片手に熱心に見入っている方が多かったです。私が博物館行く時は大概空いているので、すごい熱気を感じます!
刀剣では、石田政宗や黒田一成所用の肥後延寿など傷のある刀に惹かれました。刀剣って私にとっては観賞用美術品って感覚ですが、これら美しい刀を持ち主が実際に使用したのだと感じるとき胸が高鳴ります。きっとこの刀に守られたのだろうな…、傷を残すなんてセクシー…などなどいらぬ妄想始まっちゃう!

甲冑は、写真でしか見た事ない子たちをこの目で見られる日がついに来た!って感じで、白檀塗色々威壷袖とか、白檀塗浅葱糸肩紫威壷袖&白檀塗五本篠半籠手とか、パッと見でゴージャスなやつが好きでした。
毛利関連ゾーンには特に釘付けになりましたが、一番惹かれるのは個性的な当世具足の展示で、輝元所用の赤い奴や長政の一の谷など見れた時は「推しが!並んでいる!!ブォオ~!」と脳内でほら貝吹きまくってました。この興奮を誰にも伝えられないもどかしさよ……。
写真で見るのと実物を目の前にするのだと注目したくなる部分が違いますね。「お前さん、縫い目そんな感じだったのか…」とか、普段とは違う部分に目が行きます。前期で厳島に帰って行った小桜ちゃんと長政の金襴軍袍見たかったなー。
それにしても大規模な展示で、これ各地に見に行こうと思ったらえらいお金と時間がかかるし、それだけ考えても福岡に来る価値ありますね。私は福岡の神社いくつか回ったので、宝物がこっちに来てて現地で見れないやつ遭遇しましたが笑

刀剣乱舞やった事ないけど、音声ガイドレンタルしてパネル写真撮ってきたよ~。角度が悪くバランスが変になっちゃってますが実物はもっとカッコいいです!
このポスターを撮ってる人が結構いて、なんでだろ?と思いつつ写真に収めました笑。ミュージカル御出演者のサインがあったんですね。
刀剣女子に擬態できてる…!(勘違い)

「ムライ、福岡に集結!」 写真下手くそすぎて字が切れてます…。今後とも残念写真多いのでご了承ください😭
・黒田家墓所(崇福寺)
ついに来ました! 中に入ってみるとお掃除してる方がいて、大切に管理されてる様子が伺えました。
こちら土日休日は門が開いているようですが、それ以外の日に行きたい場合は予約が必要だそうで、崇福寺さんではなく管理をしている福岡市文化財保護課までお問合せください。
入ってすぐの所には如水と長政の案内板が!

パシャ!
こういうのが設置されてると地味にテンション上がります。

パシャ!
「なお長政の墓石は改装の際に新たに作られたもので、墓所南端に当初の傘の部分が残されています」 ですって!
あっ、もしかしてこれ…?

看板最後まで読んでなかったので、撮った時はなぜひっそりと墓の帽子(?)が置かれてるんだろうとか思ってました笑

こちらでは墓石が想像していた以上に大きくその威容に驚かされたので、小さいですがお写真を載せてみます。黒田の権勢までも感じられる気がします。

閑静で緑に囲まれ、とても環境が良いです。
こちらの写真には如水公のお墓が映っていました。後ろの赤っぽいのがそうです。墓碑は"龍光院殿如水円清大居士碑 幷序"から始まり、細かい字でびっしりと如水公の事績が彫りこまれています(多分)。
私にとって武将のお墓参りはとても大切な気がしています。本やネット等で情報を追っても追えた気がせず、所縁の地に足を運んだりお参りをして漸く少しは近づく事ができたかなって気がしてくるのです。この瞬間は感極まってしまいます(不審者くさくて申し訳ない…)。
・やってきました福岡城跡 タクシーにのり、「福岡城の下之橋御門まで」と伝えます。しかし上之橋御門前に連れていかれ「福岡城の入り口はここですけど…」と3回くらい言われました。
ごめん、でもやっぱり下之橋がいい…足疲れてるから😂

こちらの門は当時と同じ場所に位置するとの事で、足の疲労を考慮し最初に行ったのですが、下之橋から見る人あんまいないよね笑
・下之橋御門&潮見櫓

検索して見つけた服部英雄氏の
こちらに目を通した所、
「地域の伝承でも上の橋門から入城する侍と、下の橋門から入城する侍では格の差があったとされている。」
「下の橋門が上の橋門よりは格下であったことを考慮すれば……(略)」(いずれもp145)
と書かれていました。上之橋に案内してくれたタクシーの運転手さん、めっちゃいい人やん! ありがとう…!

私、今度来るときは上之橋にふさわしい侍になるからね!
・旧母里太兵衛長屋門

白が綺麗で、新しい建物にも見えます。

が、説明読むと古いっぽい!

門の脇の部屋に住めそうじゃない? 住みたい!!

母里太兵衛の家紋、釘抜紋の瓦。
・御鷹屋敷

晩年の如水がこの御鷹屋敷に移り住んだようです。ちょっと小高い所にありました。

説明によるとこの場所は「本丸より高かりしかば、山をならしてひきゝ(低い)岡とし、如水公の兎裘の宅地(隠居地)とせられる」とあります。私なら老体で毎日ここの丘を昇り降りするの嫌です笑。
あっ…それで思いたって検索してみたけど、如水さんが脚悪かったって話、初出が大正時代なんですね~。
・多門櫓

多門櫓は、江戸時代から城内に残っている数少ない建物で、「石落」が備えられてるんだそうです。

長いです。内部は非公開ですが、一般公開される日もあるんだって!
・天守台

ここの風景めっちゃ好きです。向こうの角から侍がやってきてもなんら不思議ではない…!

先へ進むと、道が細くなり曲がりくねっています。ワクワクする~~。

はぁ、はぁ(動悸息切れ)。結構上がった気でいたけど、まだ上がある様子。

ついに福岡の頂点に来たぞー!
天守台からの眺めです。泊まったホテルが見えます!
福岡城は天守の存否が未だ分かってないようで、なかなかミステリアスお城なのですね。
ミステリアスといえば二の丸看板に載っていた
お綱の話。
掻い摘んでいえば、ひょんな出来事がきっかけで夫に浮気され顧みられなくなったお綱がやがて狂乱し、我が子をころしてしまい、なぎなたを持って夫の居る城へ乗り込むも返り討ちにあい、門の前で息絶えてしまうという悲しいお話です。
お綱に救いがなさ過ぎる…切ない……。
まぁ作り話かなーって思ったらそうでもないのかしら…? ミステリー!
・本丸跡

本丸には政務を行うとともに住居として使われた本丸御殿があったそうです。

福岡城本丸の図。こんな感じになってたんですね~。こういうの見ると、トイレはどこ?って気になります。
・福岡城むかし探訪館

顔はめ長政くんウケる~! ここには福岡市史が置いてあって、適当に「資料編近世1」を手に取ってみたら景さま回でした。旅行ハイなので運命に導かれたかのように錯覚しました。
模型大好き!

先ほど載せた福岡城本丸の図と見比べても本丸再現度高いようです。本丸広いなぁと思ったけど、この模型を見ると上のお堀沿いにも大きなお屋敷がゴロゴロしています。一体何の建物だろう?

家臣のお屋敷ゾーンだった! 福岡藩……すごいですねえ。
(現在の福岡城周辺の地図)
ではその家臣たち…、黒田家を支えた二十四騎の図をご紹介。

まずは黒田一成さんの主張がすごいww 個性豊かな兜の中にあって、ひときわ目を引く銀大中刳盔旗脇立頭形兜…。旗差物と勘違いされ大砲の的にされたという話が残るそうで、正直超面白いです。
もう一人目立つ方といえば村田吉次さん。菅正利さんも朱具足を着ていた話が残るそうで、二十四騎の図では赤っぽく描かれる事が多いけど、村田さんの場合いつも決まって全身朱色で描かれているので、どの二十四騎図みてもすぐ見つけられるはずです!
個人的には毛屋武久さんの金のお饅頭兜が可愛いと思います!
こちらは朱漆塗り合子形兜です。

博物館でも記念撮影可能だったんだけど、あそこ出口だから必死な写真撮るの少し恥ずかしくて…。いや、やっぱ必死に取っとけばよかったなぁ……。ここでは上から下から撮りました笑

肖像画(本物)ってガラスを挟んで距離もあるし、案外小さかったり掠れてる事もあって肉眼だと目を凝らしてもよく見えない部分あるんですが、こちらのパネル長政公、大きくてめっちゃ良くないですか? 目頭が切れ込んでるし横髪サラッサラです!
・最後に上之橋御門。

今はこんな感じ↑ですが、昔はこんな感じ↓でした。

昔の建物写真、風情があってすごくいいなぁって思います。これが実際に使用されていたんでしょうねぇ。大変そそられます…!
なんだかんだで大体一周できたかな。福岡城、でっかかったんだねぇ。昔の人は足腰が強いねぇ!
・光雲神社 孝高公と長政公の法名から一字ずつ頂き「光雲てるも」と名付けられたそうです。こちらは福岡の黒田家マニア(!)の方にお勧めして貰った神社なのですが、私も全国の黒田家好きさんにお勧めしたい神社です!!
御祭神は黒田勘解由次官孝高、筑前守黒田長政となっています。

七五三かな? きっと如水公長政公のように賢くて強い子になりますね!

ご覧ください、黒漆塗桃形大水牛脇立兜の銅像です。
こんな像見た事ない! センス良すぎで見た瞬間「わぁぁ」ってテンション上がりました。

飾りの?紐が精巧です。はー写真撮る手が止まらない…!

日本号を呑みとった逸話で有名な母里太兵衛さんの銅像もございます。

ツーショット。と、尊いぃぃ。
藤巴が至る所に見られます。こちらでお賽銭入れると驚きの仕掛けが。

なんと鶴が鳴いてくれるのです!
ほゎぁ~なにこれめっちゃおもろ笑。
お賽銭何回も入れてしまうわ~、さすが官兵衛さん策士~~(頭悪い)。
どんな鳴き声か想像しながら、実際に参拝され是非ともご自身でご確認くださいませ!
社務所では様々な授与品が置かれていました。
これはもう黒田グッズと言って差支えないのでは…?
孝高公・長政公のご神徳ある黒田家グッズとか最高すぎません??

これ見たら「ほ、ほしい!!」ってなっちゃいますよね(ニワカ面靴下は気にしないでください。勿体なくてまだ履けてません。お気に入りです)。
・太宰府天満宮 黒田如水といえばキリシタンの印象が強いですが、ここ大宰府とは縁が深く、社領二千石、石灯籠、太鼓橋、縁起絵巻、夢想之連歌他多数寄進し、連歌屋を再興するなど天満宮の復興に尽力した事でも知られています。福岡城居館完成前の一時期は、大宰府天満宮の境内に隠棲していたそうです。

如水寄進の太鼓橋。境内には如水が使用したと伝わる井戸や如水社もあるそうです! 九博はお休みでした……。

天神縁起絵巻(元和本)中巻。元和5年(1619)
黒田長政が北野天神絵巻を書写させ奉納したもの。

如水公夢想之連歌。
慶長7年(1602)、如水・長政父子が奉納したもの。
「松むめや末ながかれとみどりたつ 山よりつづくさとはふく岡」
福岡という地名が初めて見られる史料なのだそう。
色んな神社を巡ったので、その都度お御籤ひいたんですが(こういうのっていいのかな?笑 お賽銭+αのつもりで…)、大吉出たのはこの太宰府天満宮だけでした。
これはめでたき~、めっちゃテンション上がるしすごく好きになる!笑
・水鏡神社
こちらは菅原道真公を祭り、福岡の天神という地名の由来となった神社だそうです。
黒田家との所縁は、長政が1612年現在の地に移し、忠之が社殿を再建したとの事。

都会にあってこぢんまりとしていますが、灯篭や像など色々置かれていて「可愛いらしい」と感じる癒しの空間です。

こちらにも御神牛とうそ像が居ます。御朱印もいただけます。初穂料は「お気持ち」で、御朱印初心者の私としてはちょっとビビりました…!
・東長寺
博多旧市街ライトアップウォークで行きました。

いきなり綺麗。

ほわー! 幻想世界!

えっっ、めっちゃ有難い……。

ここは極楽なのかと思いました

こちらには福岡二代藩黒田忠之公、三代藩主黒田光之公、八代藩主黒田治高公のお墓がございます。

お墓の大きな写真は載せないようにしてるんですが、墓所も美しい光で彩られていましたので……黒田忠之公墓所。
福岡、すっごいです!
都会だけど至る所に寺社があり、どこへ行っても黒田の名が出てきます。黒田をめっちゃ感じられる街でした。また来たいな。
このあとも黒田家ゆかりの場所が続々登場しますので、是非御覧ください!
次のメニューは…
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景さま建築を見る。小早川隆景。.
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- ★戦国旅・雑記
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福岡下関旅メニュー●
黒田家入門●景さま建築を見る。小早川隆景。(このページ)
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小倉城、細川忠興。福岡下関のイチオシと旅まとめ ●景さま建築を見る。小早川隆景。
言わずと知れた毛利両川、小早川隆景公です。彼はここ福岡で多くの寺社を再建しました。その一部を追ってみます。建築分からないのに果たして大丈夫か!?
・まずはここ、宗像大社
境内はとても広いです。

拝殿……。こ、これかな?(よくわかってない)

杮葺きで切妻造のあれがそれです!
弘治3年(1557)に社殿が焼失し、現在の本殿は1578年大宮司宗像氏貞が頑張って再建。しかし氏貞は拝殿の再建は叶わぬまま没してしまいます。その後、筑前を与えられた小早川隆景によって、1590年(天正18年)ようやく拝殿が再建され、宗像大社辺津宮本殿拝殿が揃ったのでした。

パンフの説明によりますと「桃山時代初期の神社建築の特色がよく表れている」そうで、シンプルかつ合理的、質実剛健な感じがします。境内は厳かで落ち着いた空気を纏っていますが、こちらの拝殿はその雰囲気によくマッチしてますね💗

真ん中の案内板に景さまの名前が出て来るはず…と思うけど写真忘れてる~…!。訪れた方お写真撮って私にゆずってください😖
・太宰府天満宮
太宰府天満宮に到着。
太宰府天満宮楼門。

上部にねぶたが飾られ通常よりゴージャスになってました。私青森住んでたんでこのコラボ嬉しい!! このねぶた、暗くなると光るそうですよ。
楼門は石田三成の再建、土地は秀吉から寄進されたそうで、戦国時代の有力者たちからも崇敬を集めていた事が伺えます。

お目当ての本殿です!
こちらは、1591年(天正19年)に景さまが再建したんだそうです。

大宰府の本(天神絵巻)によりますと「五間社流造 軒唐破風付 檜皮葺。桃山時代の豪壮華麗な時代の気風を伝える」との事。
でた桃山時代…! 桃山時代の建築ってどんな感じなんだろ、難しいです笑。

本殿内部には金の柱が据えられていたり豪華絢爛で、華やかな秀吉の時代って感じがします(←適当っぽい😭)。

これは、道真公を慕う可愛い飛梅ちゃん!
ちなみに、この頃隆景は名島にいたようです。名島について彼は「名嶋之町は家一つも無御座上、普請衆彼是入ましり候て、中々之儀候条」と述べているんだそうで、お城や城下の整備もしなくちゃならないし、なかなか大変だったでしょうねぇ。
・景さまの名島城をしのぶ。 というわけで名島城跡にやってきました。

名島神社の鳥居です。ここからも城跡へ行けます。

名島神社。

名島神社では御朱印が頂けます。ここに来た時はまだ御朱印集めしようと思い立ってなかったので、残念ながら御朱印は頂けていません。ううっ…くやC。

名島城址公園入口。

着いたー! 至って普通の公園のように見えますが、

園内には立派な石碑があり
名島城について書かれた看板もいくつかあります。

「名島城は、唐入りの軍事拠点である名護屋城への軍事・生活物資や人材などの補給基地としての役割も担いました」とあります。
確かに、景さまの得意ジャンル(海城)から考えても、時代背景から考えても、納得の立地です!
大きな画像で載せましたので、その他の細かい文字は拡大してご覧ください。
東屋にもちょこっと説明が載っていました。

このお城も三方を海に囲まれていたのですね。ああ…やっぱり景さまと言えば海……、海のお城ですよ!
まあ今いる所から海見えてないけど笑。往時はここから博多湾が一望できた事でしょうね。
このお城は2008年石垣の発掘調査が行われたようですが、そちらに通じる道は施錠されており入れませんでした。なので看板撮ってきました!
(ちなみに公園自体も門が閉められるようになっていて、開園時間は4月~9月が9時から19時まで、10月~3月は9時から17時までとなっているので、訪問時には注意が必要です)

大手口って…?🤔 どこかにあったんかな。

服が映り込んで色変わってる部分があるかも
名島城が存在した当時の絵図はなく、この絵図が最も最古のもので、記載された家臣の名前から小早川期の様子を描いたものと考えられるそうです。

私、黄色い部分の曲線になった構造が気になります! なんか芸術的じゃない? あっ、今よく見たら真ん中ら辺に「大手口」って書いてた…。
(現在の名島城周辺の地図)
名島城は大半が住宅地になっていて当時の面影を見つけにくいかと思ったのですが、面白いサイトがありました。
「
名島城のなごりを古地図を見ながら調べてみた(Y氏は暇人さま)」
古地図と現在の地図を照らし合わせながら歩いておられ、大変興味深いです!
という事で、ここからは名島城の痕跡を拾い集めたいと思います。
・崇福寺(唐門・名島城遺構と伝わる)
崇福寺にやって参りました。

門は境内の中の方にひっそりと佇んでました(暗かったので門だけ明るくしてます)。

曲線を描く唐破風の屋根が印象的です。

この形は桃山時代が隆盛期だったらしく、寺社ではカラフルで豪華な装飾の施された唐門が見られたりしますね。
・宗生寺(名島城の搦め手門) お次は宗生寺です。こちらには景さまの遺髪がもたらされたとか…。

大穂(おおぶ)の宗生寺。正面に見える門が、名島城の搦め手門と伝わります。
ツツジの名所でもあるというこちらへ伺ってみたい方は少なくないと思うんですが、歩くにはちと遠い場所にあります。私は東郷駅からタクシーで行きました。気になる料金は…片道1530円! 駅まで往復3000円+電車代なので、行きたい気持ちさえあれば一人でもそこまで胸が痛まない金額です(最寄りバス停からならもう少し安いと思う、多分)。
案内板から景様関連だけ抜粋してみました。

お寺の掲示板にあった張り紙。

許斐一族、小早川隆景、黒田如水、黒田長政、黒田忠之など檀越として、お位牌をお祀りしているそうです。小早川とも黒田とも縁が深いのですね。
ではいよいよ…!

これが名島城の搦め手門です。大変立派な門です。四脚門ってやつでしょうか。

黒田長政がこちらに移築したんだとか。だとしたら、長政公の優しさかも…。

宗生寺の案内ペーパーでは宗光寺山門に似ていると書かれていました。
宗光寺山門は福島正則のものではないかとも言われているようですが、どうでしょう? 宗光寺行った事ある方、いかがですか。

いま私、写真下手くそすぎて泣きそうです。撮った時はばっちり!って思ったのになぁ。今にして思えば横からの写真も欲しいのに、全然撮ってない…!

お線香を上げさせて頂き、隆景公の墓所へ向かいます。

雰囲気がばりかわいい😳

墓所はお寺の裏山にありますが、微妙な険しさがあり、気を抜くと足をズルっと滑らせそうでなかなかスリリングです。
宗生寺ペーパーによりますと
「生前よりの遺言により小早川家代々の菩提寺曹洞宗米山寺(三原市)だけでなく、宗生寺にも供奉(追腹)4人と共に葬る。『黄梅院泰雲紹閑大居士』と号す。お墓は宝筐院塔で、高さ8尺7寸で米山寺のものと同型である。」
との事。
景さまはきっと、この地も愛されていたのでしょうね。

この上が小高くなっていて、景さまのお墓がありました。
4人に守られるような配置になってました。
ちなみに、ここには宗像氏貞(宗像大社本殿を再建した方)の奥方のお墓もあるそうです。氏貞娘のうち二人が小早川家臣草刈重継と毛利輝元家臣市川与七郎に嫁いでいます。そういえば益田景祥は氏貞の養子になってた事があったようで、宗像氏とは浅からぬ関係にあったんですね、知らなかった。
ちなみに益田景祥のお母さんは広家のお姉ちゃんです(すぐ広家話する…)。
その他、宗生寺には小早川隆景と重臣の井上春忠のツーショットという珍しい構図の絵が残されているようです。
この絵、隆景展図録にのってるんですけど、(ネットでは、小さいけど
こちらから見られます)賛が寛政3年(1791)6月12日とあるんです。後の人たちも景さまを崇敬していた事、そして井上春忠と一緒に描いてあげたかったんだなぁって思うと、正直たまらんものがあります😤
・福岡城(名島門) ラストは福岡城! 結構広いので歩き回るのが大変です。

周りに案内等見当たりませんでしたが、おそらくこれが名島城の脇門とされる名島門だと思います。
むむむ、これまでとは何か違う雰囲気。

暗くて画質が悪いですが…

瓦は全て藤巴になっているようです。

中の様子

これまでで一番近世城郭にありそうな感じっていうか、ううっ…、建築とか門の事わかんなすぎてそれっぽい事言おうとしても知識がたりず無理でした…! そして私、門間違えてないですかね?笑
以上を持ちまして名島城集め終了です。
名島城のものとされる門はそれぞれテイストが違っていましたが、似た所があると感じる部分もあるようなないような…。
見るだけで満足できるかと思ったけど、いろいろと気になっちゃいます!
実際の所はどうだったのかわかりませんが、これらが名島城の門と言い伝えられてきた背景にもロマン感じるというか、想像力が掻き立てられます☺
けど門の事何も知らず来てしまったのは失敗でした笑。
でもきっと名島城は渋みのある門を構え、海に囲まれた壮観なお城だったんじゃないかなぁ~と思いました(小並感)。
・最後に、筥崎宮楼門
おやっ……! この鳥居は長政が建立したものだそうです。どっしりと力強く、丸みを帯びた笠木島木の可愛らしい感じに長政公みを感じます!

こちらの楼門は1594年(文禄3年)、景さまが建立した檜皮葺の楼門なのだそうです。
この年の景さまは、2度上洛してたり筑前にいたり三原にいたり広島に行ったりと大忙しだったみたいです。どうやら秀元の婚儀の件、秀秋養子の件などで奔走していたようで。
そういえば下関市立博物館の毛利関ヶ原展に、お疲れの景さまが柱にもたれて転寝してる珍しい絵がありましたよ(邨田丹陵画)。
いつもピシッと決めてそうな景さまだけど、これだけ忙しいんだもの、そんな日があったかもしれませんよねぇ✨

ひ、ひえ~、すごい!
福岡にこのような神社があったなんて知りませんでした。
ホークス日本一をお祈りする垂れ幕がかかっています。福岡の神社いくつか回ったけどこういうの初めて見た気が!
そして福岡ソフトバンクホークスおめでとうございました。
私が福岡の街にいた時も野球応援ムードでした。セールとかいいなー!

敵国降伏とあります。
楼門について公式サイトの説明によりますと
「建坪はわずか12坪であるが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物です」
との事で、よく支えられるなーと思うと同時に、『なんか景さまっぽい』ってのも思っちゃいました。
景さまのお城について詳しくは
wikipediaを見て頂くとして、海に浮かぶような三原城の石垣は当時の最先端技術で作られたものなのだそうで、景さまの建築物に対する探求心は相当のものだったと見受けられます。この筥崎宮楼門からも景さま建築の技術の確かさを垣間見れる気がします。

三手先組の拡大(写真の角度全部同じやん…)
は~この門スリムで背が高くてめちゃくちゃかっこいい。
ちなみにもう一人の両川、吉川家ですが、北広島町の元春館で台所が復元されていて、なんと
床が歪んでいます笑。景さまとは対極かもしれませんが、こちらも是非現地で御覧になってほしいです!(歪んだ吉川建築愛してるのでめっちゃ推しています💕)。
・番外編 聖福寺

日本で最初の禅寺だそう!
境内の案内によりますと、第110代耳峰玄熊禅師は天正17年(1589)に小早川隆景の助けにより仏殿を復興したそうです。
(それと、黒田家墓所の案内板には、如水公の墓石の撰文は第109代景轍玄蘇によるものと書かれていました。ここでも、小早川、黒田…! 福岡は訪れる先々で推しの名が出てくるのでテンション上がりますね~)
wikipediaでは隆景公の墓所として米山寺・黄梅院・泰雲寺・宗生寺と4つ載ってましたが、ここ聖福寺にも供養塔があるようです(ただそちらまで入っていいのかわからなかったので、私は墓所まで行きませんでした。近くでそっと景さまを感じたいと思います)。
景さまと宗生寺について調べると、遺言で遺髪が7か所の寺院に埋葬されたと書かれているので、きっと他にもあるのだろうと思います。
当時から今現在に至るまで、小早川隆景という人物が人々にいかに敬愛されてきたのか、そしてどれほどの影響を与えて来たのか…、ふとそんな事を考えます。
景さまが聖福寺に寄進した銅鐘について、ながおさんが貴重なツイートされてたので引用します。
参考:
鐘の拓本(「聖福寺 隆景 寄進 天正十七年七月日」の文字が見えます)

お二人の方がずっと佇んでいたので、門がお好きなのかなぁと思ったら…よく見るとなにかがいます!

ねこだ! それも3匹よりそってお団子…。
山門の前で陣取って動こうとしない聖福寺ねこ。
福岡のねこは逃げません。肝が据わっているのか?
黒田武士ねこです!
さてさて、沢山の建築を手がけた景さまですが、その面影を偲ばせる建物は決して多くはないようなのです。けれど、こうして追って見ると景さまの美意識や高い建築技術の一端を感じる事ができた気がしますし、そしてなにより、景さまの事績を追う事で篤い信仰心が伺え、その真摯な人となりにも惹かれてゆくのでした。
次のメニューは…
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とにかく多才、毛利秀元。.
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小倉城、細川忠興。福岡下関のイチオシと旅まとめ ●とにかく多才、毛利秀元。
・毛利秀元を追い、下関に到着です!
下関のふぐたち、私の訪問をめっちゃ歓迎してくれるやん。下関大好き!!(ちょろい)
・チャリで来た
下関は2km圏内に行きたい場所があるので、レンタル自転車で回りました。微妙な坂道に太腿が辛い…笑。でも帰りはスイスイなので徒歩よりは断然早いです。サイクリング気分、そして地元民気分で自転車乗り倒してやりましたよ!
・まずはここ、下関歴史博物館
毛利&関ヶ原って私のために企画されてない!?と勘違いするくらい興味あるテーマで、関ヶ原前の毛利家で一体何が起こっていたのか、国割が難航し二転三転するうち、じわりと暗雲立ち込めていく様が書状から伺えます。

入ってすぐ目に留まったのは毛利秀元の座像でした。
まるで生きているかのように瞳がうるうると輝いていて、小さな像に圧倒されてしまいます。屈んで目を合わせてみたら、心の中全てを見透かされたような気分になりました。あ~~わかる…秀元ってきっとそういう所あったと思う……。
恵瓊座像も素晴らしかったです。
こちらはしゃがんでも目が合わないんです。ふわりと微笑みを湛えるその姿に威圧感は全くありません。ただそこにいるだけで空気が落ち着いてくるような、ありがたいような不思議な感覚です。無常でもなく常住でもない、そんな感じ……。
書状の展示も「これ見たかったやつ!」って終始興奮したし、毛利孫世代好きな方は必見です。このテーマに興味ある方は多くいらっしゃると思うんで、仮に行けなくても、売り切れ前に図録だけでも手に入れた方が良いです!
私は、輝元に対して一歩も引かない秀元の粘り腰、そこから伺える芯の強さと気の強さが好きです。
そして家康と通じていた疑惑のアレ……。本人は否定しているものの、根回ししてたんじゃないの?って思っちゃってます笑
そう思われるの不本意かもだけどほんとごめん!
若い頃から神がかり的に立ち回り上手かったんじゃないかなーって、時の権力者キラー、そんな秀元であったらいいなって。すいません、ただの願望ですね笑
こちらは撮影OKの常設展です。

て、輝ちゃぁー!頑張るんだよ!

元就公の頭巾ですって! どんな匂いするんだろうなぁ😤
毛利の家紋。

秀元の長府毛利家は星の上の棒が直線的です。5つも家紋あるんだー。
・功山寺 長府毛利家菩提寺、功山寺山門。

か、かっけぇ…。
長府藩主となった秀元は、長福寺(功山寺)の荒廃をみて大修理を行ったのだそうです。
こちらのお寺には、秀元関連では
功山寺文書 毛利秀元寄進状、没後間もなくに描かれた
毛利秀元肖像画など残されているようです。
国宝の仏殿。

柱上部に「此堂元応2年(1320年)卯月5日柱立」の墨書があり、わが国最古のものです。鎌倉時代の重厚感がすっごい!
長府毛利家墓所です。

拝観できないようで私が行った時は門が閉められていましたが、扉に穴があり、少しだけ中の様子を伺う事ができました。

泉岳寺は行こうと思えば山口よりずっと気軽に行ける場所ですが、お寺さんは信仰・修行の場という空気を強く感じるため、ホイホイ伺うのも気が引けてしまいます。公開されてるのでしょうか…?

こちらで挙兵した高杉晋作の像です。これはかっこいい!!
このお寺は数々の歴史舞台となりました。

大内義長はここ功山寺で自害したのだそうです。彼のものとされるお墓へお参りさせていただきました。
こちらでは売店でお守りなど頂くこともできます。
・長府毛利邸(秀元の銅像)
長府毛利邸に到着しました!

右に見えるのが、2016年できたてホヤホヤの毛利秀元像です。これを見たかったんだ~!
こちらの銅像は肖像画に似てイケメンで、そして威厳があり、束帯姿は秀元の高貴で風雅なやり手イメージにぴったりだと思いました。渋くてかっこいい…!

揮毫がなんと安倍晋三首相となっております。秀元に関しては、地元でも知名度がないと思われている様子なので、総理のこうした活動を知ると嬉しくなる感じがしますね。
鬼瓦が長府毛利!
・忌宮神社 この神社には、尊氏や秀吉も参拝したとの事!

こちらの宝物庫は空いてませんでしたが、見たいと言ったらわざわざ開けてくださって、「今準備中だからあまり展示品ないですよ」と言われたのに、秀元の能管とか見れる~!!と大興奮して拝観料ちょっと奮発したら、やっぱ能管は出てなくて悲しみに暮れました笑
でもとっても親切にして頂いて嬉しかったです。でっかいお面や能面がありました。見終わった事を伝え、神社を後にしました。

秀元はお能の名手でもあったようで、その舞のあまりの見事さに、能にのめり込み過ぎないかと秀吉が心配した話があるのだそうです。
秀吉の心配の仕方がちょっと面白いというか、秀元ちゃんどんだけ上手かったんだろ!?
たしか秀吉公もお能が大層お好きで自ら舞ったと聞いた事がある気がします。その秀吉公をして、「これはただ事ではない」と思わせるものがあったのでしょう。まったく大したものです。秀吉公に可愛がられ目をかけられていたのだろうな~ってのも伺える気がします。
何をやらせても一流にこなしてしまう多才な人、それが毛利秀元公なのです!
・串崎城跡(関見台公園) 秀元公のお城、串崎城へ向かいます。
こちらのお城は一国一城令により破却されてしまいましたが、途中の道に櫛崎城石垣が残っていました!

この上に建ってるのは普通の住宅なのかな…? す、すごない!? 私も立派な石垣の上におうち建てたい……。

階段が多くて登るの大変ですよ…!

私はここら辺で、お爺さんに追い抜かれました。

一番上まで登ったようです。やったぜ!

「幕末には関見台台場と城山台場の二つの砲台が築造されて攘夷に備えました。しかしながら、元治元年(1864)の下関戦争で真っ先に砲撃を受け、またたく間に破壊されています」との事。うぅ、この文章から受ける切なさがすごい。
秀元は三ノ丸(高校のある辺り)に館を構え藩政を行っていたのだそうで、看板の左の写真でいうと、広い空き地部分が高校のグラウンドに当たります。
天守台から、いいながめ!

お気づきでしょうか? 写真左に鯨が居て、お尻に入口があるんです。
山の上に鯨がいたというのに、階段登るのに疲れ果てスルーしてました。帰りも自転車だし秀元に関係ない事に体力使えない…(省エネモード)。でも帰ってから写真見たらやっぱすごい気になるわけです笑
この鯨は2000年まで存在した下関市立水族館の鯨館という施設で、中には鯨に纏わる展示があり、地域の方に長い間親しまれたそうです。残して貰えて良かったねぇ~🐋よしよし。下関はくじらの街でもありましたもんね!
下関市立博物館にあった串崎城の模型とパネルです。

神社の方(北ノ丸)までお城の敷地だった事が分かります。

ちなみに、上の図の「天守」の下、ぴょこっと細く突き出してる部分に鯨が居ましたよ。関門海峡を通る船からもこの鯨が見えているかもしれませんね。
(現在の串崎城周辺の地図)
今は天守の西が埋め立てられてるんですね。昔はぐるっと海だった。
・豊功神社 こちらは串崎城北側にある豊功神社です。

御祭神は応神天皇、武内宿祢、大国主命、穂井田元清、毛利秀元をはじめ歴代長府藩主となっています。

竜神様の蛇口。
境内から見る海があんまりにも綺麗で……

秀元がこんなにも美しい地で神様になっていた、そう知った時、胸に熱いものがこみ上げてきました。清らかな鐘の音と、風光明媚なこの景色が私を感傷的にさせるのでしょうか……。

海の色が綺麗すぎる…。
頂いたペーパーに目を通すと、天保5年(1834年)、毛利秀元の霊祠に豊功大明神の称号が許されたとあります。豊功大明神は文武両道の神様だそうです。
文武両道…それな!!

草むらの方にひっそり置かれてました。歌もふぐの絵も可愛い。

ふっくらと綺麗な鶏もいました。こちらの鶏は大人しく人馴れしているようです。逃げないし威嚇もしてこない…やだ可愛い。

矢印の所には秀元肖像画を彫り込んだピカピカな石版があります(私の映り込みが激しくて小さい写真になってしまいました…)。
秀元公をめっちゃ感じる事ができますね~。
こちらには秀元関連品を収蔵する宝物館があります。拝観したい方は事前にお問い合わせを。
本日は展示で小倉へ行っているので、小倉行きを決意します。小倉城は岩国城と同じ「唐造」のお城という事でずっと気になってたんですが、こんな事でもなければ足を運ぶ事もなかったと断言できるので、これはきっと神の思し召しかも!
・小倉城庭園
小倉城は秀元関連施設ではありませんが、秀元特集??って思うほど茶人秀元ざんまいの大興奮一大スペクタクル展示でした。ただ、残念なことに図録等は作られていません。

はぁぁ…秀元プロデュースで家光様たちと伝説のお茶会in品川した時の茶釜&茶杓…。
そして若い秀元が海外の職人に作られせたお茶碗…。その文字ってうちらが旅行先で記念品買うみたいなもん…? 秀元ちゃんのセンスかわゆ…笑

茶器のみならずパネル展示も、秀元の茶の湯に関する年表とか師弟関係とかあって「あ~これ求めてた情報!」って感じで最高だったのにメモの類も持ち合わせてなかったので、この短時間で頭に叩き込むなんて無理…と思い、職員の方に「パネル撮影もダメですか?」と食い下がってみたものの、やっぱり駄目でした🤣
「パネルだけでも…」と仰る方は結構いらっしゃるのだそうで笑。本当にもったいなさ過ぎる一期一会です。地元だと講座とかあるみたいなのでもっと深く知れるんだろうなぁ、羨ましい…!
秀元公を存分に堪能した、充実の下関&小倉旅となりました🤗
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小倉城、細川忠興。福岡下関のイチオシと旅まとめ.
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- 2019/10/24(木) 20:37:45|
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とにかく多才、毛利秀元。●小倉城、細川忠興。福岡下関のイチオシと旅まとめ(このページ)
・小倉城 ずっと気になってたお城ではあったのですが、訪れる機会はないだろうと思っていました。ご縁のようなものがあったのか、こうして来る事ができてうれしいです!
小倉城は、慶長7年(1602)細川忠興公によって築城が始まり、七年の歳月をかけ完成しました。

「唐造(南蛮造)」の小倉城、大きなお城です。
小倉城のパンフによると「(細川忠興が)唐造りと呼ばれる全国唯一の城を築城」とあります。
上の写真では最上階の張り出した部分がそうです。
現在は、ここ小倉城と、私が愛してやまない岩国城でも唐造が見られます(岩国城も復興天守ですが、残っている断面図にも見られる通り、最上階だけでなく三層目も唐造の珍しいお城です)。
小倉城のwikipedia見た所、「当代一流の茶人であり文化人であった忠興の美意識が現れた個性的で独特な外観の天守は当時他に類を見ないもの」と書かれていました。うん、納得!!
岩国城に関しても個人的に、関ヶ原合戦後財政が厳しく各所への憚りや遠慮もある中で、岩国の象徴として少しでも立派に見えるよう工夫して建てられたお城なんじゃないかと思っていて、やはり広家の一風変わった美意識が炸裂したものと感じていました。

眺めまで風流!
この「唐造(南蛮造)」の意味ですが、別に中国や南蛮の様式というわけではなく、新しく変わった形とか見慣れぬものを異国になぞらえた言い方らしいです。
ふふっ、唐造…その気概めっちゃ良いね!!
こちらは小倉城の模型。

小倉城の天守は昔の絵図とはちょっと印象が違っていて、この模型が本来の姿に近いのだと思われます。こちらは破風などのないシンプルな作りなのですが、その潔さがカッコイイです。

槻門。公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門だそうです。
城内に入ると小倉城の賑わいを表現したミニチュアが迎えてくれます。

めっちゃ可愛い~! 参考になる~(?)

小倉城と元就さん!

現存天守の姫路城を除くとしたら、小倉城は全国第5位ですね。思ってた以上にデカいな!
小倉城では、パネル等で小倉の歴史を学ぶ事もできるし、小さなお子様でも飽きずに楽しめるよう趣向が凝らされており、エレベーターも設置された至れり尽くせりのアミューズメントお城です。
天守にエレベーターって嫌う方も多いかと思いますが、体力0で足腰貧弱BBAである私にとっては正直非常~~にありがたいです!笑
宮本武蔵と佐々木小次郎の像がありました。

おおっ? 長髪をなびかせてる小次郎かっこよくないですか?
小倉城とはどのような関係があるのかと思ったら、当時の巌流島は小倉藩領だったようです。へー!

すっかり疲れ果て、ご飯でもしようと近くのビルに入ったら小倉城が見えました。美しいです。
・八坂神社
ある日鷹狩に出た忠興公は愛宕山に小さなお社を見つけ、祠の中のご神体を覗き見ようとしたところハチに刺されてしまい、これは神罰だと深く反省し、城下に社殿を建立したのだそうです。

ハチに刺されるなんて散々ですが、なんかこう、由緒にほのぼの可愛いものを感じてしまいます😆

こちらで御朱印を頂きました。字めちゃくちゃかっこいい…! 私もお習字して美しい字書きたい!!
どうでもいい私事ですが、長政公と忠興公は年貢持ち出し事件以来仲悪し状態だったようで、でもこれ絶対沼やろ~~って感じてしまう所があり、未だ手出しできていません…!
●番外・博多旧市街ライトアップウォーク
東長寺でもご紹介しましたが、こちらは承天寺です。もっと見て回りたかったけど、7時頃到着し急ぎ足でも2社しか見られず。もしかしてこれは何日かに分けて回るものなの…?

ライトアップ期間は承天寺内部に入る事ができ、中から色とりどりの光に照らされた庭園を楽しめます。枯山水だけでなく建物の造りや漂う香りなど全てが素晴らしき和の空間です。は~~、私寺の人になってここに住みたい。

心の中にある枯山水のイメージを具現化したみたいな庭園。波のうねりが力強く美しい…!
福岡と下関のイチオシと旅まとめ。●旅まとめ
・リサーチ不足で激ヤバの旅。
今回の大目標の一つが福岡市博物館「侍展」だったので、何度でも歩いてでも行ける!と博物館に近い(と思った)ホテルに泊まったんですが、1km以上あって歩くには微妙に遠かったし、結局一度しか行きませんでした。他の場所に行くためには大体天神か博多に出なければならず、その都度バスで20~30分かかってしまうので、中心地に泊まっとくべきだったかなと。でも部屋はめっちゃ広くて良かった~。
・福岡のバス難しくない?
博多から目的地に向かう分には問題ないんですが、バスの路線図が複雑なので、そこらのバス停から乗る際、次に来るバスがどこに向かうのか、ちゃんと目的地に止まるのかよく分からない…!
一応事前に軽く検索し、現地でも路線図とバス番号確認して乗ったはずだったのになぜか目的地に止まらずずっと遠くまで行ったりしてました…。
急いで軌道修正するためタクシーを使う事になり、交通費一体いくら使ったのか考えたくもないです笑。タクシーの配車をお願いしても来るのに30分以上かかる事もあるので、時間も大幅ロスしかねません。公共交通機関での移動をお考えの方は、どのバスに乗れば目的地に行けるのか事前のご確認をお勧めします…。
・福岡さいこー!
福岡は寺社にも見所が多く、これまで興味はあっても始めるには至らなかった御朱印集めをついに開始。なんでやらなかったかと言えば、人と話すのが不得手というコミュ障な理由なんですが笑(ねこには話しかけるくせに…)。
神社の縁起が書かれたペーパーを一緒に頂けたりするし、見返す度に思い出したり、御朱印帳が埋まって行く過程も楽しく、ハマる人の気持ちがよく分かりました。これもまた福岡に来なければ知る事はなかった魅力の一つです。福岡では色々な体験と、そして驚きがありました。本当に来て良かったです。
●最後に私のイチオシは…
下関 豊功神社
御祭神は応神天皇、武内宿祢、大国主命、穂井田元清、毛利秀元をはじめ歴代長府藩主
小さな境内ですが最高に眺めがよく、ふわふわできれいな鶏が居ます。秀元関連品を収蔵する宝物館がありますが、拝観したい方は事前にお問い合わせを。秀元好きな方には絶対おすすめ!
福岡 光雲神社(西公園)
御祭神は黒田勘解由次官孝高、筑前守黒田長政
お賽銭に鶴が鳴きます。日本号持った母里さんの銅像と、かっこいい大水牛兜の銅像があります。黒田を感じる各種お守りの他、藤巴の御朱印帳もこちらで頂けます。黒田家好きな方におすすめ!
福岡 宗像大社(神宝館)
御祭神は田心姫神、湍津姫神、 市杵島姫神。宗像三女神の総本社
神宝館に入ったらまず「えっ…展示室暗すぎ?」と一瞬不安になりますが、辺りを見ると一筋の光に照らされた指輪が目に入り、その金色の輝きに度肝を抜かれます!
中には国宝が八万点あるそうで、鏡やガラス玉は勿論、馬用装飾品の杏葉や雲珠まで精巧で格調高く、その美しさたるや筆舌に尽くしがたいものがあります。
日本史ザコな私は「古墳時代の日本ってハニワ作ってなかったっけ?」と驚きを隠せませんでした笑。この時代にこんなものが伝来していたなんて。ここに来ればきっと、古代の人々の神に対する思いを垣間見る事ができます。宗像大社を訪れた際には是非!
今回の戦利品!

オラわくわくすっぞ。
あと前に貼ったニワカ靴下の写真も併せてご覧ください!
長々とお付き合い下さりありがとうございました。
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- 2019/10/24(木) 20:37:27|
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