毛利一族の関ヶ原、みた

個人的に気になるテーマで面白かったです!感想とか書いちゃう

関ヶ原前日吉川広家&福原広俊が本多忠勝&井伊直政と起請文を交わしたことについてですが、広家だけでなく広俊が出てくる事で「毛利輝元=毛利家の意向」という信用度が高まるってのはそうですよねえ。毛利側も忠勝と直政で信じたわけだし、起請文交わした時点での信頼度や立場はひとまずイーブンかな?!

この事はよく、『本当に所領安堵の約束が守られると思ったの?』とバカにされるけど歴史の結果を知ってるから言える事で、毛利が背後から家康に攻めかかり、仮に万が一歴史が変わっていたとしたら、『そんな所通って本当に攻められないと思ったの?』になった事でしょう。どちらにとっても綱渡り的な面があったんじゃないかなと思います。

それと、輝元が広家の行動を黙認してたってのはさもありなんかなぁー。広家の言い訳の内容みると、一応途中で輝元に状況を報告し命令を待ったというようなことも記されてもいるのですが、返事はなかったっぽいのかな?とりあえず表向きは「知らなかった」で押し切れる形になっている感じはしますね。番組でも触れられていましたが、輝ちゃって薄弱なお坊ちゃまイメージと違って、野心が感じられたリ策を巡らせたり、その一方で保険かけたりと、なかなか狡猾な面ある感じしますな。そこらへんはなかなかどうして、やはり元就の孫なのです。

あとは、秀元が南宮山の陣から尾根伝いに桃配山に下って(広家陣回避ルート)家康を攻める事がそう簡単だったのかは気になるかも。直線距離でわずか3㎞との事だけど、実際は距離も険しさも疲労度もUPしないかな? 
南宮山→桃配山
(3月21日追記:分かりにくいので図にしてみた。グーグルマップを加工してます!)
地図でしか見た事ないんで所詮妄想ですが、道も悪そうだし霧もあるし武装した人1万5千なので降りるだけで時間も余計かかりそうな気はします。秀元が動いてもなんらかの対処出来そうな。そもそも家康がその件に本当に無策でいたのかどうか分かんないですね。

秀元は、内応知っていたにせよ知らなかったにせよどっちみち先陣動かんし、桃配山に攻め下ったとしても家康が陣引いたら挟み撃ちになるのは自分って事も考えられるし、状況と相談しつつ慎重にならざるを得ないよね~。

でも秀元がそっちから攻めたら広家どうしたのか気になるー!あと前も気になった事ある気がするけど、1万5千の兵って南宮山のどこにいたんだろ、陣の所にぎゅうぎゅういた…?のかな…?うーん気になる気になる!


かもん
↑そのうち使うかもしれんと思って描いてたけど面倒くさくて放置してる下り藤の三引両。いつか完成させたい…!

以下拍手コメント返信ですー
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宇宙生物ぷりちーぴ様

わーーーー!ありがとうございます…!まさかこれまで描いた絵から歌を詠んでいただけるなんて……!

前半では踊りかかるような躍動感があり「どうなるの!?」と思いきや、後半ではうってかわって春の日差しのなかでくつろぐ二人の光景が感じられるようでした。筆にするならふさふさの胸毛がいいかなあ?添えられたお優しいコメントも含め、感激しました。

私、俳句・短歌など勉強した事もなく全然わからないのですが、実は気が向いた時に作ろうと試みる事があったりします。思うように表現できず挫折しまくってますが…。ですので大変嬉しかったです!ありがとうございます。
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